5月3日 奈良県スモン病患者を支援する会会長として、スモン病患者の畠中理文さんを訪問。
畠中さんは、スモンを風化させないために著者を発行。
今も後遺症に苦しみながら前向きに頑張っておられる。
本日は、マンションのエレベーターが壊れたので、ゴミ出しに来ました。
県議会議員になる前に、前会長が約7000万円を横領したので、某新聞記者に頼まれ、告訴状を書き
奈良地検に告訴する手伝いをしたのが始まりです。
その後、ボランティアで、スモン病患者を支援する会の活動を続けています。
この10年間で、会員も亡くなられ随分と減りました。その分、活動も減りましたが、亡くなられた方の顔や話をした内容を思い出すので
辛いです。
私は、大学時代と教員時代に、四日市喘息、水俣病、足尾銅山鉱毒事件等に関心を持っていて、四日市喘息の視察や中学校で公害の授業も
してきました。
自分が好んで、告訴状を書いたり、スモン患者の面倒を見たいとは思っていませんでした。
当初は、現職の教員で見張り番・生駒代表幹事、奈良県市民オンブズマンの代表幹事を務め、政務調査費の裁判等を5件ぐらい抱えていました。
6月、7月、8月は、いつもパソコンの前で、住民監査請求書をかきながら布団もひかずに寝ていました。
無理をするとどこかで歪が来るもので、今迄に3回救急車で搬送されたことがります。呼吸が苦しくて、病院に行ったら、医者の判断で救急車を呼び、
即、専門病院で手術になったこともありました。私は、忙しかったので手術を避けたかったのですが、もし、医者が適切な判断をしてくれていなかったら
たぶん、死んでいたと思います。
そこで、今は、自分のペースで仕事をして、無理をしないようにしています。
5月2日 スモン病患者を支援する会の活動で奈良総合医療センターへ。
連休には、スモン患者を支援する会の活動をしています。
スモン患者のNさんが入院しているので、畠中さんの本を届ける。
コロナ対策で、受付に本を渡し。Nさんとは、メールでやりとり。