中中京大学陸上部跳躍の同窓会

八事の森跳躍の会(中京大学陸上部の跳躍同窓会)

私は、複数の大学から誘いがあり、夢は、日本で一位になる事。その為に、名古屋の中京大学に進学(当時は、大学で男子3位 女子1位)。

当然、先輩の具志堅さんは、オリンピック出場、三段跳びのコーチは、オリンピック金メダリストの田島直人氏。

但し、直接の指導は、先輩がするので、想像を絶するほど過酷。多くの選手がつぶれていく。結局のところ、三段跳びの同学年で残ったのは、画像右の

小渕伸二君(日本選手権4位)の二人。画像左は、八谷千衛君(走り幅跳び日本選手権入賞7m70㎝ぐらい)。

私は、大学1年で近畿選手権5位で、そして、日本選手権出場(決勝には残れなかった)。ただ、大学3年でスピードもついて、大学対抗の選手のレギュラーに決定した。

しかし、新入生歓迎コンパを欠席し、沖縄返還デモに参加したのが原因で、レギュラー外されてしまった。のちに、学園民主化運動にも取り組み、陸上部の指導部と

対立してしまう。当時、陸上部、応援団等は、学校の意向をくんで動いていた。結局、私は、この当たりから、陸上は趣味で良いと思いだした。大学4年生の時に、一度だけ大阪選手権の三段跳び出場したが、

全く、踏切版にあわず負けてしまった(大阪選手権2位)。練習場所がなかったので、しかたなかったのかも。

大学卒業後、リレー種目に出たようで。左の画像

今、走った記憶がない。

ある雑誌の表紙に載っていたので、走ったのだろう。

大学卒業後も大阪で国体強化選手の時もあったが、強化練習に行ったら、しんどすぎてついていけない。大学時代よりは、楽だが、学校の仕事と両立が難しい。

一回行って、二度と行かなかった。

その年の、国体選考会で、同じ強化選手の前に前西君が、選考会で優勝したら国体に連れて行ってもらえると言うので。選考基準に疑問を持ったので、

私も真剣に飛んで、結局、私が優勝をした。

私の場合は、特別強いわけでもなし、強化練習に参加するわけでもなし、国体に呼ばれることもなかった。